シン人権派ブログ

日本弁護士連合会および各弁護士会の健全化と法曹界の綱紀粛正を求める活動を旨としています。

ネトウヨは矢代英輝弁護士だけでなく亀石倫子弁護士も落合洋司弁護士も

八代英輝弁護士は、安倍内閣に媚びながら、韓国の保守的新聞と同列に日本の保守的な朝日新聞を「反日」と誹謗したり、「慰安婦問題は史実に基づかない」などとデタラメ発言をしたり。


これでも弁護士なのかと呆れている人たちもいるが、これと同じ水準の弁護士はザラにいる。表向きの顔と本性が違う弁護士もいて、それに気づかない人が多く、また同業者は気づいたとしても言えないのだ。表向き「人権派」でも本性は違う人ばかりだから。


ちゃんと気づく人もいる。例えば選挙に立憲民主党から立候補して落選したことがある亀石倫子弁護士の一見「リベラル」な主張には、当事者感が希薄で御題目を上から目線で唱えているようにしか響いてこなかったと言う立憲民主党の支持者がいた。


そうしたらやはり、愛知県で暴力を示唆した脅迫により表現の自由が問題になっているというのに亀石弁護士は、百田尚樹のヘイト発言などに対する批判も表現の自由への侵害だからリベラルな人たちも反省すべきとTwitterで発信し、内容的に全然違うじゃないかと批判され慌てて削除する始末であった。


もともと亀石弁護士は、右派が差別的に騒いでいた国籍問題で蓮舫議員を批判していた過去があり、さらにまただから案の定ということだ。
こういうのを「反自公ネトウヨ」という。


その前にも同党は、候補者にする予定の落合洋司弁護士が差別発言していることを知ってから除外したことがあった。


昔から弁護士に対する苦情・不平は多く、交通事故など当事者になった人や、そんな人たちの周辺の人たち、および相談を受けている人たちにとって、もう弁護士の人間性のひどさは常識である。


当事者になったことが無い人が多く、みんな法曹界の実態を知らなさ過ぎるし、知ろうとせず目を背けてばかり。人権を護るとか権力と闘うとかの使命なんて幻想は社会を危うくするのだが「知らぬが仏」「見ぬが潔」でいたがる。

弁護士は勉強嫌い

弁護士の多くは勉強嫌いである。
弁護士に比べたら、医師など勉強好きである。いい加減なことをして人命に危険をもたらす医師は少なくないが、それは間違った発想をしているからだ。そして間違った発想によって更に間違った知識を身につける悪循環である。だから危ない医師は多い。しかし勉強嫌いとは違う。むしろ勉強好きである。方向が間違っているから危ないのだ。


ところが危ない医師と弁護士は違う。
ここで勘違いしてはならないことがある。どんな専門職でも「専門バカ」と言われるように専門のことばかりで世事に疎いとか一般教養が乏しいとかいうことはあるが、弁護士は専門の法律を知らないことが多すぎる。そのうえ専門バカの傾向も加わるから始末が悪い。


これは、弁護士は試験を通ればあとは勉強しないからだ。
医師が大学を出て免許を取って開業してからも、暇さえあれば専門書を読んでいる人が多い。真面目な医師ほど勉強熱心である。不真面目で不勉強な医師もいるという問題があるけれど、これはあくまで問題のある医師もいるということだ。医師が一般的に不真面目で不勉強ということではない。
ところが弁護士は一般的に不真面目で不勉強である。そうでない人が希少価値なのだ。


この、弁護士が一般的に不真面目で不勉強である実態は、裁判官や警察官が証明している。
ひどい裁判官が多いことは他の専門職と同じだが、法律の専門家なので法律のことは普通に知っている。また、悪徳な警官はいても、法律の専門家ではないが普段の仕事から関係することが多い法律については知っている。
なのに、同じ水準のことを弁護士は知らない人が多い。特にマニアックな分野ではないのに、普段から勉強していないからだ。素人を相手に知ったかぶりしていれば商売になると思っているからだろう。


それで弁護士はぶっつけ本番で六法全書を引く
そもそも法学部で六法全書の解説みたいな授業をするのは、にわかに六法全書を引いても厳密には解らないからだ。それなのに弁護士は、もう試験に受かって資格がある自分だから大丈夫だと勘違いし、普段から法律関係の本を読もうとはしない。ここが医師とは違うところだ。そしてぶっつけ本番で六法全書に当たるから間違う。弁護士に言われても、他の弁護士に確認のためセカンドオピニオンを求めるべきなのは、こういう構造があるからだ。

東京弁護士会は素人まかせ馬鹿まるだし

東京弁護士会は、不祥事を起こして懲戒請求された弁護士を身内意識でかばうことだけでなく、請求者に対して積極的に暴言や侮辱をすることを繰り返していることでは昔から、それは少なくとも10数年前から、悪評が立っているが、そもそも東京弁護士会綱紀委員会は、誰か素人の、しかも教養が低い、バイトにでも任せていい加減な対応をしていることだけは明らかである。


例えば、東京弁護士会に所属する弁護士が、自らが関与した訴訟の当事者について虚偽を言いふらすことをしたため、弁護士としての品位を損なう行為として懲戒請求され、その虚偽を東京弁護士会綱紀委員会は根拠も無く正当としたのだが、なぜそうなのかというと「真実と合致している」からだと、文章に明記したことがある。


これは弁護士が書いたとは到底思えない記述である。事実関係について整合性があるとか辻褄が合っているので真実と判断することが出来るというなら普通に意味の通る文だが、結論や評価の言葉である「真実」と合致しているゆえ正しいというのは、実に滑稽である。
こんなことは普通の常識でもわかることで、もし大学生が授業で提出するものに書けば、単位をもらえないことはもちろん基礎的な語彙を勉強しなさいと注意と叱責をされるだろうし、司法試験とか日弁連の適性試験ではなおさらであろう。
だから弁護士が、法的な見地から判断をするための認定にさいして文章に書くはずなどありえないことである。


このような素人まかせ馬鹿まるだしのことを、正規の業務で平然と行っているのが、東京弁護士会なのである。
そして、これが問題になると事務員が間違ったから弁護士は悪くないという滑稽な居直りを何度もしてきたことは周知の事実である。