シン人権派ブログ

日本弁護士連合会および各弁護士会の健全化と法曹界の綱紀粛正を求める活動を旨としています。

東京弁護士会は評判が悪い

東京弁護士会に悪い弁護士がいるというのは、一部の人たちのために全体的傾向だと感じられるだけかもしれないし、所属弁護士の数も多いため、不祥事も目立つのかもしれない。


それにしても、金だけ取って仕事しないなどの苦情があると、これも東京弁護士会所属、あれも東京弁護士会所属、また東京弁護士所属、などと言われることが多すぎないか。
地方の弁護士会は所属数が少なく、時には二桁という会もあり、それと比べて東京の会はどこも所属数が四桁なので、何かあっても絶対数がそもそも多いから、というならわかる。そうではなく、東京の三会の中で、変な苦情や悪評という弁護士が、なぜか東京弁護士会でやけに目立つのだ。


これは、東京弁護士会は自治がなっておらず自浄作用がないどころか、自治をいいことに身内のかばい合いばかりしているため、悪い弁護士にとって居心地が良くなっているという、会の体質とか構造が原因ではないだろうか。
実際に、東京弁護士会は所属弁護士の不祥事が告発されると、無茶君茶な屁理屈でかばったり、告発者に対し誹謗や侮辱で応じたりすることが多い。そういう話は、直接見聞きして確かだと感じることもあるし、これに加えて風評も入ってくる。


その後、単純でわかりやすい不祥事は「第二」に目立つようになった。実際に、東京弁護士会は所属弁護士の不祥事が告発されると、無茶君茶な屁理屈でかばったり、告発者に対し誹謗や侮辱で応じたりすることが多い。



それでいて、正当な請求でも懲戒など同会の実態からして有り得ないのに、不当な請求で懲戒されるかもしれないと不安になってしまったと嘯いて勘違した請求者たちを非難し金を脅し取る佐々木亮弁護士や神原元弁護士らのような人がいる。他の会所属の弁護士から「よく、そんな空々しい嘘を平気でつけるものだ」と呆れられ、批判されていた。東京弁護士会の所属弁護士たちは恥知らずである。

東京三会

東京には三つの弁護士会があり、これは大正時代の内部対立をきっかけに分裂したことが原因とされる。


もとは東京弁護士会だけだったが、そこから長老の役員が第一東京弁護士会を設立し、両者は激しい対立をした。これに与したくない弁護士たちが、第二東京弁護士会を作ったという経緯だ
そして現在では三会が霞が関の弁護士会館に同居していて、大昔の喧嘩で分裂しただけだから今は三つになっている意味が無く、もう統一すべきという意見もあり、よく会長選挙で公約にされている。


 そんなわけなので、これらの三会には特徴が乏しく、「第一」は長老派だったので保守的で、「第二」は進歩的だ、という傾向があるという見方もあるけれど、それは、元裁判官だった年齢も高い人が第一だったとか、人権派と言われる人が第二だった、ということが時々見受けられるという程度で、その人たちの中に、例えば今は亡き遠藤誠弁護士が、第二を人権派の牙城にした立派な先輩たちがいた、などと言ったりしていて、そういう目立った人のために、なにやら特徴的に感じるだけなのだろう。
単純でわかりやすい不祥事は「第二」に目立つようになった。しかし東京弁護士会は市民的な感覚からすると許し難い不正であることが特徴だろう。これは運動団体として不純ではあるが弁護士の調査はしている「弁護士自治を考える会」が指摘していたとおりである。

遠藤誠弁護士も所詮は日本の弁護士だった

法曹界は馴れ合いばかりしている。
それで、裁判所が検察をチェックするため令状の申請をするようになっているのに、精査しないで逮捕令状や家宅捜索礼状を発行してしまう。だから政治的な嫌がらせや弾圧に利用されている。右翼でも左翼でも関係なく被害に遭っている。
時には問題があるからと令状は駄目だという真面目な裁判官がいるけれど、すると検察から怒りの電話がきて「てめえ、司法修習で何期だ」と怒鳴ったりしているのだから、人材育成の段階から馴れ合いが普通なのだ。


それで法曹人口を増やすべきだと言われていた。
そもそも法曹人口が少ないため、裁判官と検察官と弁護士が夫婦だったりするから寝物語の馴れ合いまでしているようになっているのだ。これは昔からひどすぎると言われていた。
ところが、法科大学院なんてことになり、今では医師と同様に法律家も金持ちの子供でなければ成れないようになってしまった。


ただ、法曹人口を増やせと言っていた弁護士も、その堕落に浸っていた。
だから改革なんて無理というものだ。その解かり易い例として遠藤誠弁護士がいた。彼は正義感で反権力の弁護士として知られていた。法曹人口を増やせと主張していた。
そんな彼であっても、いつも批判している「保守反動」の裁判官などに対して、この人には何で批判しないのかと不可解なことがあり、すると司法修習で一緒だったから「同じ釜の飯を食った仲」だと平気で言っていた。


これだから、法曹界が馴れ合いばかりして当たり前である。
しかも、それを改革すると言いながら改悪している。今の日本の法曹界は絶望的である。