シン人権派ブログ

日本弁護士連合会および各弁護士会の健全化と法曹界の綱紀粛正を求める活動を旨としています。

「正義は勝つ」と言って負けた神原元弁護士

絶対善と絶対悪の戦い「ハルマゲドン」なんて存在しない。
あるのは主観的な正義と主観的な正義との闘いである。
「勝てば官軍負ければ賊軍」と同じように勝った方が正義になる。
正義だから神様が味方してくれて勝つのではないし、強い者や賢い者や狡い者が勝つのが普通である。




どんな勝負事でも「水物」である。これは裁判だって同じだ。
そのうえ日本では司法権の独立が「絵に描いた餅」であり、上ばかり見ている「ヒラメ判事」がうじゃうじゃいるし、公然とした馴れ合いや裏工作も日常的である。八百長が横行しているから勝って当然の側が負けることなんて珍しくない。
だから正義が負けたようにしか見えない裁判があった。




ところが、その負けた弁護士の口癖は「正義は勝つ」だった。
つまり、この神原元弁護士が負けたのは八百長ではないかと皆が思っているけれど、当人の口癖からすると不正義であるから負けたということになる。
このような滑稽なことになるのは、もともと勝負は水物なのに、正しい方が勝つわけではないのに、彼は自分が勝訴したら相手方を侮辱して「正義は勝つ」と言うからだ。




だいたい、弁護士は勝訴すると「自分たちの主張を裁判所に解ってもらえて良かった」という談話をするものだ。これが、判決とはどんな性質ものであるかを適切に言い表しているし、仮に溜飲が下がる思いだとしても相手方を侮辱してはならないからだ。
しかし神原元弁護士には解らないようだ。




このような彼の態度に怒っていた人が、その時の彼が居た場所と状況からすると酒に酔っての放言だったのではないかと疑っていたけれど、もしシラフで言っていたなら、酔っての放言よりむしろ深刻だ。酔ってのことなら酒飲むのをやめるべきだが、酔いもしないでのことなら人間性の問題だし弁護士としての職業倫理に関わる。




この弁護士は「しばき隊」と密接であることを公言している。
そのうえ、その乱暴な集団と密接な神原弁護士とつるんでいることを公言して相手方を脅していたのが「ダブルスパイ」の佐々木亮弁護士であった。

佐々木亮弁護士・神原元弁護士らに対し他の弁護士から批判

大量の懲戒請求に対して訴訟にするという弁護士たちに、迎合する同業者もいれば批判する同業者もいる。
その批判する弁護士が、法律的な見地から指摘していたので、大意だが紹介する。



懲戒請求に対して訴訟提起することを否定するつもりはないが、総額300万円程度の請求額が適正金額と考えられるので、それをはるかに超える総額3億円くらいの訴訟提起や、これを前提とする和解提案(特に本件は弁護士が付いていない素人が相手)は問題だ。
あの橋下徹氏による煽動により、各弁護士に約600件も懲戒請求されたことについて、不法行為が最高裁で否定されたものの控訴審の高裁は不法行為を肯定して損害賠償請求を認めたが、その際に弁護士がそれぞれ受けた精神的苦痛に対する慰謝料として認められたのは80万円だった。
この不法行為というものは、損害賠償の二重取りを許さないので、複数の行為者による損害が共通していて、それについての賠償を既に受けていれば、それ以上の損害賠償はできないことになる。これは共同不法行為となるかどうか(=関連共同性の有無)とは別の問題だ。
そして、一部の加害者から全体としての損害額の賠償を受ければ、その後に他の加害者への請求(和解の勧誘も含む)は不当請求となり、すべきでないことになる。法律知識のない素人に対してはなおさらそうだ。
「和解しなければ訴訟だ、ということの、どこが問題か」という人がいるけど、ここで問われるべきなのは、「法律のプロが、先例によれば裁判所が全体で100万円程度と評価するはずであろう請求について、素人を相手に、総額なら3億の請求が成り立つとして、総額で5000万円を前提とする和解を提案することは如何なものか」だろう。
にもかかわらず訴訟対応を応援する同業者が多いのは、不当懲戒請求者という弁護士の敵を叩きのめすという構図だからかもしれない。しかし専門家の説明義務が言われる中、プロが素人の無知につけこむのはアンフェアだし、ひいては弁護士に対する信頼を損ねることになると思う。


以上まさに「ど正論」である。

旬報法律事務所の佐々木亮弁護士は知性だけでなく人間性に難

前に、旬報法律事務所の佐々木亮弁護士とその周囲の弁護士たちは「偽左翼」「似非人権派」だという指摘があることとともに、同業者の法的な見地から批判されている実態を(受け売りだが)紹介した。


佐々木亮弁護士は、例の勘違い懲戒請求者たちに訴えると脅して法外な和解金を要求しているとか、弁護士会でのことだから会の扶助制度が利用できるはずなのにインターネット上でカンパを募っていることを問題にされていた。
この問題をブログに書いた人に対して、佐々木亮弁護士の取り巻きは、神原元弁護士の主張する「差別扇動案件」であり、差別と闘うためであり、したがって何をしても許されるとしている。これでは同和とか部落解放の朝田善之助らと同じ言い分である。


また、佐々木亮弁護士は、そのブログについて「読みにくい文」だという下らない非難をツイッター利用して浴びせていた。
そんなことを言っている人は皆無だったし、仮に読みにくいとしても、意味が通らないということではないし、まして内容が間違っているわけではないから、佐々木亮弁護士の言うことは反論になっていない。


しかも佐々木亮弁護士は、相手が書籍や雑誌の記事を書いている人だと知りながら「文書を書くのが苦手なのだろう」と中傷していた。
ほんとうに読みにくいと思ったとしても、そんなことを口に出したら反論できないので誤魔化していると思われてしまうし、どうしても言う必要があったとしても、そう言うだけで終わり。それが普通だ。嫌味は言わない。


仮に、他の人は全然そんなこと言ってないけれど佐々木亮弁護士としては読みにくいと感じたにしても、それはあくまで佐々木亮弁護士の主観であるし、反論ではなく中傷で応じるのは非常識の誹りを受けて当然のことである。


どうも、他の批判と合わせて考えれば佐々木亮弁護士とは職能だけでなく人間性が問題であるとしか考えられない。