シン人権派ブログ

日本弁護士連合会および各弁護士会の健全化と法曹界の綱紀粛正を求める活動を旨としています。

刑事訴訟法の改悪に日弁連も加担している

袴田事件のような証拠隠蔽による死刑判決や、村木厚労省次官の事件で発覚した検察による証拠の改竄など、検察の不正や制度の欠陥により発生している冤罪が問題となり、それで司法改革をするはずだったのに、実際には司法取引や盗聴の拡大などを盛り込んだ、冤罪の醸造と警察国家化を柱とした刑事訴訟法改悪が衆議院で可決されてしまった。


ここで日弁連も共犯者である。日弁連の執行部は「可視化」を過大に期待した。可視化は事件の僅か2〜3パーセントしか対象にならないというふざけたものであるが、これでも最初の一歩になると言って拘ったという。
この過剰な拘りに加え、官僚が多数を占める審議の中で負けを嫌い、一括一体採決を受容れてしまった。いちおう自分たちの意見も通ったという体裁にするだけだった。このため弁護士会内と現場の意見を押さえ込んだのだ。


こうした日弁連の体質は、前から指摘してきたとおりだ。表向きは、ちょうど大江健三郎のような進歩的文化人たちの反核のように、偉い文化人様やセンセイ方がマスコミを意識しながら格好つけて声明を発表するのと同じで、戦争反対とか警察国家化反対と言って見せるが、その裏では権力の手先になって反対する市民に迫害を加えている。
これは何度も市民によって裁判で追及されてきたが、裁判官も権力にすりよるし、天下り先に配慮もする。動かぬ証拠を無視したり捏造をしたりで、見逃したり匿ったりをしてしまう。


また、日弁連は外部から監査する制度もあるが、それに対する訴えを握りつぶす連続である。書面を受け取っていないとか、提出が期日に遅れたなどと虚偽の書面を作製する。
もちろん提出した日付は受付の認め印があるから、日弁連の虚偽は簡単に判るし、証拠も大量にある。例えば懲戒請求をした人などが色々と文書を所持しているのだが、これを訴える制度がない。これをわかっていて日弁連は故意に不正やインチキをしている。


よって、司法の健全化のためには、日弁連も改革というより解体が必要である。

相変わらず空々しい戦争大賛成の日弁連

日弁連は、安保法制の問題点を詳細に分析した意見書を発表し「全会一致で反対だ」とカッコつけている、相変わらずの空々しさである。
日弁連なんて、昔から本多勝一が批判していた大江健三郎みたいな「進歩的文化人」と同じで「声明」だけ。
だいたい、有事法制を批判した市民に、自民党と一緒に弾圧をして、それを今も続けておいて「よく言うよ」だ。


もともと日弁連は、何処かの政権与党と連立している「平和の党」と同じだ。看板だけでブレーキのふりして実はアクセル。
ところが、日弁連に対して幻想を持つ人の割合が圧倒的に多い。進歩的な弁護士や左派の弁護士が目立っているからだ。
しかし、権力とか大資本の代理人をしている弁護士のほうが実入りはよくて、金と力を持っているのが実態である。


「集団的自衛権」行使容認に反対する日弁連パレードが行われ、日弁連会長を先頭に全国の弁護士会からの参加者と市民の約500人が「閣議決定を撤回しろ!」「平和的生存権を守れ!」などとの声をあげた。
これは、もちろん表向きのポーズにすぎない。偽装である。


日弁連だけでなく、東京弁護士会などの弁護士団体は、格好だけで実質何もしないどころか、裏では権力の手先となって、権力に反対したため迫害されている市民を、一緒になって迫害しているのだ。告発はたくさんある。
そして、法的に問題にしても、裁判官としては天下り先なので断罪しないどころか、証拠を無視し、訴えの趣旨を曲解し、八百長をしまくっている。
それを知っているので、安心して日弁連は故意に不正をする。マスコミも逃げ腰である。何かあったとき、ただでさえ政治的圧力があると日本の司法は権力側に偏向するし、これと弁護士会や日弁連がグルであるともわかっているが、自分たちが迫害を受けることを恐れてしまう。


だから、時々、フリーランスのジャーナリストたちが、外国メディアを相手に記者会見しているのである。
つまり、日本は政治も経済も司法も、まさに「真昼の暗黒」なのだ。

死刑廃止を訴えた瀬戸内寂聴の発言を謝罪した日弁連の腰抜け

「殺したがるバカどもと闘って」 
瀬戸内寂聴が日弁連シンポで死刑制度を批判したが、殺生を戒める宗教者として当然の発言だろう。


もしも、これが憎しみに凝り固まっている被害者の家族を非難した発言だったら、気の毒な人をバカとまで言っては可哀想な気もするけれど、そうではなく、これは「闘って」と弁護士に対して言ったわけだから、権力を乱用する人を問題にしている。そして、権力と闘うのが弁護士の責務のはずなのに腰抜けが多いから、しっかりしろと言っているのだ。


なのに、政治家と癒着した団体が被害者遺族を利用して言葉尻を捉えた攻撃をしたら、これに屈して謝罪してしまった日弁連。やはり弁護士は腰抜けばっかりで闘う気など無いと証明された。


この攻撃を仕掛けた、被害者の団体と言いながら政治家と癒着している「あすの会」は、前に鳩山邦夫法務大臣が、死刑を大臣の確認なしでやれと主張したうえ執行命令を連発したことで、批判した朝日新聞に圧力をかけて謝罪させたが、今度は日弁連に、というわけだ。


そうした政治家に取り入って死刑を乱発させる狂気団体の中心人物に、冤罪事件に取り組んでいる団体の人が、冤罪の問題について質問したところ、日本では起訴されたら九割が有罪になるから問題ないという凄い答えが返ってきたと、質問をした人が話していた。
これは冤罪事件にとりくむ団体の集会でのことだったが、いくらなんでも非常識すぎるので信じられない人が多かった。しかし言質をとっていること、他の場でも同じ趣旨の発言があったこと、などから確かであった。


これと同じく、裁判の間違いは一部だから死刑をやれというふざけた発言は、大谷明宏のように表面では反権力を自称するマスコミ人からも出ている。冤罪は根絶されたというならともかく、そんなこと不可能であるし、少数だからと悪い事をしていない人が殺されて良いと言うのは非常識すぎる。大谷は、金の亡者として知られている。ギャラの良いテレビを好む。そういう商売をしている。
そんな連中を利用している権力は「殺したがるバカ」と言われても仕方ないだろう。そのバカに奉仕する連中がいるのだ。だから、だらしない日弁連は権力を恐れて謝ってしまったのだ。日弁連は解体したほうがいい。有害無益。