シン人権派ブログ

日本弁護士連合会および各弁護士会の健全化と法曹界の綱紀粛正を求める活動を旨としています。

弁護士は他人の不幸で金儲けする業者

かつて『報道ステーション』というテレビ番組は、映画監督の周防正行氏をゲスト出演させ「共謀罪」についての批判を語らせていたが、それは彼が『それでもボクはやってない』という映画を作り日本の司法が抱える問題を追及し、これをきっかけに法制審の委員を務めるなど発言を続けていたからだ。
ところで、この映画は電車で痴漢と疑われ逮捕された男を主人公にしたものであったから、その当時は電車で痴漢と言われて逃走した男性が転落死したことがあったばかりだったので、この事件について何かコメントするだろうと期待した人もいたのだが、この期待は裏切られたわけだ。


この、痴漢にされそうになった場合の対処について、あるマスコミにもよく出る弁護士は、逃げられそうならその場から一目散に逃げてしまうのが一番だと、テレビなどで公然と発言していた。なぜなら、逮捕されるだけでも大変なことになり、そのあと裁判になったらもっと大変で、しかも裁判が公正とは到底言えない実態があるからだ。
もちろん、これは逃げきれたらの話で、失敗してしまうこともある。そうなると不利になるだろうし、線路に逃げたら鉄道から損害賠償を請求されるし、それ以前に命の危険もある。
だから、逃げないで弁護士を呼ぶべきだという弁護士たちがいた。これには疑問や反論が出ている。それらは要するに「建前」「きれいごと」だというものだ。


まず、警察は弁護士を呼べないようにするものだ。
「先進国」なら警官は弁護士へ連絡する権利を被疑者に告知しないといけないなどと決まっていて、これはハリウッド映画やアメリカのテレビ刑事ドラマにはよく反映している。しかし、日本は違う。
また、弁護士を依頼したところで冤罪から救われる保証はない。日本では逮捕イコール犯罪者に近い。


なにより、弁護士はあくまで「法の枠内」で勝つ専門家にすぎず、我々はそれより大きな「人生の枠内」で勝たなければならないのだ。罪を被せられた時点で既に大打撃であり、そのあと無罪を勝ち取っても破綻した人生は取り戻せない。
こうなると、ほんの数パーセントでも賭けて逃走するという考え方も理解できなくはないし、だから弁護士のなかにさえ、それで成功するに越したことはないと言う者がいるのだ。


そもそも、潔白なのに逃げると危険があるってことくらい、誰でも言われなくたって解っていることだ。
それでも命がけで逃亡するのは、弁護士や裁判官が信用できないからだろう。それほど日本の法曹界は不信を買っているのだ。国選弁護士や弁護士会の当番弁護士に裏切られたとか、裁判は暗黒の魔女狩りとか、そういう現実が歴然とある。これを無視して弁護士を呼ぼうというのでは「きれいごと」と批判されても仕方ない。


ハリウッド映画『アラバマ物語』で、アカデミー主演男優賞のグレゴリー・ペックふんする弁護士が奮闘して被告人の潔白を証明したのに、被告が黒人だから、白人ばかりの陪審員は証拠を無視して有罪にしてしまう。控訴審があると弁護士は被告を励ましたけれど、被告は護送の途中で逃ようとして警官に射殺されてしまう。人種差別の強い米国南部では、良心的な弁護士が頑張っても無駄だったから、黒人としては裁判なんてあてにならないと思い、危険を承知で逃げようとしたわけだ。
日本では、人種差別ではなく、一般庶民が米国の黒人と同じということ。


だいたい、有罪でも無罪でも勝訴でも敗訴でも、裁判の結果がどちらにしても、依頼人は人生を浪費してしまった負け組であり、どちらにしても報酬を得られる弁護士は勝ち組である。それでも弁護士に頼もうと呼びかけるのでは、善意で言っても商売のためかと疑われるだろう。